大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和46年(あ)2582号 決定 1973年3月14日

本籍

韓国全羅南道霊岩郡新北面葛谷里

住居

新潟市弁天町二丁目一〇番地の四

遊技場等経営

朴萬圭

一九二四年一月一四日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四六年一〇月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山浦重三の上告趣意第一点は、憲法三七条一項違反をいうが、その実質は、原審が所論文書提出命令を発しなかったことを非難する単なる法令違反の主張であり、同第二点は、判例違反をいうが、所論引用の判例(所論中に「第三小法廷判決」とあるのは「第三小法廷決定」の誤記と認める。)いずれも本件と事案、論点を異にし、適切でなく、同第三点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 関根小郷 裁判官 坂本吉勝)

○昭和四六年(あ)第二五八二号

被告人 朴萬圭

弁護人山浦重三の上告趣意(昭和四七年二月一日付)

第一点 原判決は、憲法第三七条第一項の「公平なる裁判所の裁判」と云い得ず同条項に違背する違憲判決であるから破棄を免れない。

最高裁判所は、憲法第三七条第一項の「公平なる裁判所の裁判」とは「偏頗や不公平のおそれのない組織と構成を持つ裁判所による裁判を意味するものである」としている。(昭和二二年(れ)第四八号同二三年五月二六日大法廷判決刑集二巻五号五一一頁参照)

しかし憲法第三七条一項で保障される「公平なる裁判所による裁判」とはその組織と構成において、公平な裁判所によってなされる裁判のみを意味するものではなく、そのなされる裁判自体の内容と実質も亦公平であることを保障するものである。

裁判所の組織と構成について公平公正であることは、裁判の実質の公平公正であることの保障の一前提であるのであって、組織と構成が公平であれば、その裁判の公平公正であることはもはや顧慮の外にあるものとするものではない。

又裁判所の組織と構成について公平公正だからと云って、その裁判の実質の公平公正が必ず保障されているとは限らない。組織と構成において公平であることによって保障される裁判所が更に公平公正な裁判をすることが憲法上、被告人に保障されているのである。

かく解しなければ「公平なる裁判」に関する被告人に対する憲法上の保障は単に蓋然性による保障に過ぎず到底基本的人権の保障とは云えないものと考える。従て客観的に明瞭な不公平不公正なものが、その裁判の実質に存するならば、その裁判は、憲法三七条一項の「公平なる裁判」とは云えないのである。

なんとなれば原審は、昭和四六年六月二四日第五回公判において弁護人の、文書提出命令の申立を単に、その文書は秘密に属するものであるから公開することは相当でないとの検察官の意見を容れて、右文書提出命令の申立を却下しているからである。

そして提出命令の対象たる文書は、租税債権確定の上において、すなわち脱漏所得把握の過程において、関東信越国税局調査査察部が損益計算方法のみによったか或いは、これに財産計算方法を加味して脱漏所得額を公平、正確、平等に合理的に把握しているか否を検討するについて重要なる資料となるべき、本件の告発要否判定勘案手続に関する一切の文書である。

勿論その文書の提出命令申立の採否の決定は訴訟指揮に関する決定の一つで裁判所が訴訟進行程度に応じて判断すべき専権事項ではあるが脱漏所得の把握にあたっては国家は飽くまで、租税公平の原則、実質課税の原則をふまえてなすべきであって、苟しくも裁判上脱漏所得の把握に疑いを生じた以上は、その査察段階における脱漏所得把握過程を明らかにすべきである。それを単に秘密文書であるからその提出命令申立は相当でないとして排斥することは「公平なる裁判」とは到底いいがたいのである。

本件の査察段階においては脱漏所得額に対し被告人の取得資産が少なすぎたため、査察官は、これに見合うだけの銀行預金その他取得資産の有無を追求した結果、被告人は二千万円の貸倒れ損金のあることを主張したのである。

しかるに、査察過程において、この二千万円の貸倒れを如何に措置したか不明確のまま告発をなし、かつ原審は、右の措置が明らかとなるべき告発要否判定勘案に関する文書の提出命令申立を秘密文書であるから公開するのは相当でないとの意見のもとに却下し、その上右二千万円の貸倒れについて、被告人のその旨の供述(乃至は供述調書の供述記載)と朴清洛の死亡届受理証明書を除いては、これを裏付ける証拠資料は皆無であって到底そのまゝには肯認出来ないし、仮にそのようなことがあったとしても新潟会館の営業及び実兄朴竜圭名義による貸付金との間に直接関連がないこと、換言すれば朴清洛に対する貸付金は新潟会館の営業とは関係のない個人的貸付金であると認められるのであるから、これが回収不能となってもその金額を貸倒れ損金として所得税法五一条二項により必要経費に算入することが出来る限りではない、として貸倒れ損金の主張を排斥しているのである。

しかしながら、右査察段階における措置及び原審の判断は著しく公平を失し、かつ証拠の取捨選択及びその価値判断を誤った「不公平な裁判」であって到底容認し得ない。

脱漏所得の把握は一次的に査察段階においてなされるのであって、その把握が損益計算方法によって明確になし得ない場合には財産計算法によって両者相併用することによって脱漏所得を把握することが、課税の原則である公平、正確、平等を維持する基調である。(東京地裁 昭和三四年(行)一一一、昭和四〇、六、二三、行裁集一六巻七号一一七三頁参照)

従て本件告発要否判定勘案の手続過程においては、少なくとも、損益法、財産法によって合理的に脱漏所得を把握している筈であるから、裁判所は弁護人の本件文書の提出命令の申立を容れて、その提出命令を発しその告発要否判定勘案の経過を法廷に顕出し、脱漏所得把握の経過を検討した上でその判断をなすべきである。

しかるに原判決はこれをなさず一方的に二千万円の貸倒れ損金として必要経費に算入し得ないとしたのは査察段階における損益計算等による脱漏所得把握過程における租税公平の原則乃至は実質課税の原則がどのように顕現されているか否かを明らかにしようとしない「不公平なる裁判」と云わざるを得ない。

由来刑罰制裁を科せられる法人税法乃至は所得税法違反の犯則事件の本則的処理は税務機関を離れてすべて刑事手続によるのであるがその場合税務職員の告発によって刑事手続に移行するのが通例である。

そしてその告発については査察段階において告発要否判定勘案の手続が施行されるのである。

しかしその脱漏所得の計算においては費用収益対応主義により損益計算をして積極要素である収入金額又は総収入金と消極要素である必要経費その他の費用(費用損失)とを金銭計測によりとり上げて積極要素の消極要素に対する超過額をもって所得金額とするのであるが取得資産がなお不明確である場合には財産計算法によってできるだけ合理的な方法によって所得額を把握してこれに課税すべきで(前出東京地裁判決参照)この間の脱漏所得の把握の経緯は前記関東信越国税局調査査察部に存在する本件告発要否判定勘案手続に関する文書によって脱漏所得把握の全貌が判るのであるから「公平なる裁判」としては矢張りこれらの文書の提出命令を発してこれを法廷に顕出し、国税当局が如何ようにして公平なる脱税額の把握をしているか、審判すべきであると信ずる。

殊に公訴官たる検察官自体二千万円の貸倒れの存否については争わず単にこの二千万円の貸倒れは事業遂行上生じたものではないとしているに過ぎない状況においておやである。

以上原判決は憲法三七条一項に違背する違憲判決であると云わざるを得ない。

第二点 原判決は、最高裁判所の判例(昭和四六年一二月一七日第三小法廷判決、第一次教科書訴訟(損害賠償請求訴訟)及び同判例が支持した東京高等裁判所昭和四三年(う)第六五〇号同第六四九号)の趣旨に違反した判決であって破棄を免れない。

右判例は、所謂第一次教科書訴訟における教科用図書検定調査審議の過程における、調査意見書評定書、審議会の審議録、審議会の判定を記載する書面等の提出命令をめぐる即時抗告事件において、教科書検定手続において作成された文書は、教科書著作者との法律関係について作成された文書であり(民訴三一二条)教科書検定における判定理由の開示は民訴二七二条の「職務上の秘密」にあたらないとの趣旨の判決である。

勿論本件と右判例とは一方は民事訴訟であり一方は刑事事案であって異種のものであるけれども本件の文書の提出命令申立の採否決定の実質面においては差異はないとみるのが相当である。

何故ならば、本件は、刑事裁判とは云え、結局は租税債権債務(脱漏所得額)を確定するための行政訴訟的性格をも持つものであって、納税義務の発生及び実現はすべて法律事項であり(憲法三〇条八四条)この法律事項については、何人も裁判所の裁判によって、何が適法かの判断を受けることが出来るのであり一切の法令、および処分の合憲法性は最高裁判所が最終的に判断するところであり、しかも行政機関に前審的な審判は認められていても終審としての裁判は行うことは出来ないのである。

しかして本件は関東信越国税局調査査察部の告発に基いて刑事手続に移行したものであり、その脱漏所得の把握は第一次的に関東信越国税局においてなされているのであるが、上告趣意第一点において述べたとおり、被告人には脱漏所得に見合うだけの取得資産のないことが明らかとなり(昭和四二年一二月一四日付被告人に対する質問てん末書二五問参照)査察官はこれを追求して被告人に二千万円の貸倒れ損金のあることを想起させているのである。

そうだとするならば、この貸倒れ損金を告発要否判定勘案の手続過程において、如何ように措置したか、は被告人にとって重要なる問題であるばかりでなく、租税の公平の原則上においても重要な事項である。

納税義務の確定乃至発生という法律事項について前審的な関東信越国税局の課税経緯を法廷に顕出すべきは理の当然であり又原審判決が二千万円の貸倒れ損金について、その存在を証する証拠は皆無であるとした判断は第一次の関東信越国税局の査察過程を無視し、あまつさえ現に存在する原審検証の結果及び死亡届受理証明書、被告人の供述(乃至は供述調書の供述記載)等の証拠の価値判断を誤つた不公平なる裁判というほかない。

しかも本件について、関東信越国税局が査察施行にあたってとった基本的態度は、既に述べたとおり、損益法、財産法を併用して出来るだけ合理的に扱ったか否かを明らかにするために本件の文書提出命令の申立をしたのである。

それを原審は右書類は秘密文書であるから公開することは相当ではないとして却下しているのである。

しからば右文書が秘密文書であるか否か。

「職務上秘密」「公務上の秘密」(民訴二七二条)(刑訴一〇三条)とは、公表することによって国家利益または公共の福祉に重大な損失、重大な不利益をおよぼすような秘密をいうことであり、前記判例の指す文書が公務上の秘密に該当しないことは前記判例のとおりであり、脱税犯則事件について告発要否判定勘案手続における判定経過に関する文書も公務上の秘密に該当しないのであり、むしろこれを開示することはむしろ租税債権確定手続の公平、正確を保障する所以である。

その公示乃至は開示によって、関係官吏の意見が自ら知られることがあってもそれは担当者として行政官庁としても当然是認すべきであって、それがため国家利益や公共の福祉に重大な損失乃至は不利益が及ぶとは考えられない。

むしろ租税の公平なる課税の実態を明らかにすべきであり、裁判所は進んで本件文書の提出命令を発し右文書を公開すべきである。

しかるに原審は、単に官庁の秘密文書であるから公開は相当でないとして右申立を却下したのであるから前記判例の趣旨に反するは勿論公平なる裁判とは云えず破棄を免れない。

第三点 仮に前記憲法違反及び判例違反の主張が認められないとしても、本件は、刑訴第四一一条第一号乃至第三号の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

(一) 二千万円の貸倒れ損金についての誤認について

(1) 原判決は、被告人のその旨の供述(ないし供述調書の供述記載)と朴清洛の死亡届受理証明書を除いては、これを裏付ける証拠資料は皆無であって到底そのまゝには肯認出来ない。仮にそのような事実があったとしても、新潟会館の営業及び実兄朴竜圭名義による新潟駅前の土地の買受けと朴清洛に対する貸付金との間に直接の関連がないこと換言すれば朴清洛に対する貸付金は新潟会館の営業とは関係のない個人的貸付金であると認められるのであるからこれが回収不能となっても、それを貸倒れ損金として所得税法五一条二項により必要経費に算入することが出来る限りではないとして、貸倒れ損金として脱漏所得から控除すべきであるとの主張を排斥しているのである。

しかしながら、原判決中この二千万円の貸倒れ損金についての判断は、証拠の取捨選択ならびにその価値判断を誤った採証法則違背の判決であり、法令違反の責を免れないし、重大なる事実誤認であり、著しく正義に反するものと云わざるを得ない。

すなわち、本件査察途上において、脱漏所得に見合うだけの取得資産がないことは既に認められて居るし、二千万円の貸倒れがあること自体は明らかであったのであり、唯それが犯則所得から控除さるべき事業遂行上の犯則損金であるか否かが問題であったのである。

被告人は事業遂行上生じた貸倒れであると主張し立証したのに対し、検察官は貸倒れの存在事実を認めながら事業遂行上生じたものではないと主張していたに止るのであってみれば二千万円の貸倒れの存在の事実を否定し得べきものではないのである。

又その証拠としても前記査察途上における経過と被告人の供述(乃至は供述調書供述記載)原審の検証結果、朴清洛の死亡届受理証明書を綜合すれば本件二千万円の貸倒れ損金は優に認め得られるものと信ずる。

しかも告発要否判定勘案の資料を検討することによって尚更明確となるべきである。

従って原判決は証拠の取捨選択を誤りまた、その価値判断を誤った福祉法則違背の判決でありその結果、重大なる事実の誤認を敢えてしたものであると云わざるを得ない。

(2) 原審は仮にそのような貸倒れがあったとしても事業遂行上生じたものでないと判断しているけれどもその認定は誤りである。

買受人名義を、たまたま兄朴竜圭名義で取得したものであったとしても、新潟会館の営業遂行上被告人がこの土地を購入するために朴清洛にその資金を預けたことには間違いなく、また現に被告人がその土地を利用して営業を営んでいることは原審検証によって明らかであり、この点に関する原審の判断は証拠の取捨選択及びその価値判断を誤り、経験則に違背するものであって法令違反の責を免れないし、ひいては重大なる事実の誤認があるというべきである。

(二) さらに、原判決ならびに第一審判決には判決に影響を及ぼすべき証拠調べの方式に違反した法令違反がある。

原判決は、弁護人の理由不備、理由のくいちがいの主張に対し、「記録を調査してみるに、所論が問題としている脱税額計算書二通及び修正損益計算書二通並びに原審昭和四四年押第四八号の六、小手帳のうちの青色ビニール表紙にミヤリサン1965と銀文字の入った小手帳一冊は昭和四四年四月一八日の原審第一回公判において、検察官より、その他の多数の証拠とともにその取調の請求がなされたが、弁護人より証拠調請求に対する同意、不同意または意見の陳述は次回にしたいとの希望が述べられ、同年六月二八日の第二回公判において、弁護人より、同意または取調べに異議ない旨の意見が述べられた結果、これを証拠として採用し、その取調べがなされたものであり、第一回公判期日と第二回公判期日との間に二ケ月以上の間隔があることに徴しても、弁護人としては、各証拠の内容その他を検討したうえ、前記のとおり意見が述べられたものと認められ、各証拠の取調の方法等について被告人または弁護人から異議の申立等のあった事跡が認められないことによってみれば、原審第二回公判における各証拠の取調べは、それぞれ一応適式になされたものと認めることが出来る(以下略)」と判断しているのである。

勿論刑事訴訟法第五二条については、その公判期日における一切の訴訟手続について公判調書証明力を有するものではなく、「公判調書に記載されたもの」に限定されるのであることは言を待たないところであるが、原審昭和四四年六月二八日第二回公判期日において、適式に証拠物の取調べを施行したか否かについて、疑を持つのである。

刑事訴訟法第三〇六条同第三〇七条により、裁判長はその取調べを請求したものにこれを必ず展示しなければならないし朗読させなければならないのである。右公判調書においては、「取調済」とのみ記載してあって、証拠調の方式が如何ようになされたか、は記載してないのである。

しからばその証拠調の方式については本件公判調書以外の資料によって証明することが出来るのであるから弁護人は敢えて証拠調の方式違背を主張するのである。

被告人は第一審公判廷においては、その第一回第二回公判期日を通じて、本件脱税の基本的証拠となった第一審昭和四四年押第四八号の六の小手帳のうち青色ビニール表紙にミヤリサン1965と銀色の文字の入っている一冊及び黒模様入りの表紙でニュージエントルマンズメモと金色の英文字の入っているもの一冊は遂に一回たりとも展示を受けていないし、朗読を受けていないし、展示朗読に代るべき適切な方法によって被告人に理解させていないのである。(原審公判廷における被告人の供述参照)

なお右のような証拠調の方式がなされていないからこそ、第一審裁判官は、昭和四四年一二月一六日第三回公判期日の開廷に先き立ち、同裁判所二階準備和解室において検討会を開いたのである。(原審提出、証拠物の一部紛失についての覚書と題する書面参照)

検討会とは、一体如何なる訴訟手続きであるか、要するに裁判官の心証を得るために、証拠物を確認するため、査察官に説明を求め被告人弁護人にも確認させるための証拠調べではなかったか。すなわち右覚書は第一審公判において、その時までに適式な証拠調べがなされていなかったことを裁判官自体告白していることを証するものであるとみるのが相当である。

適式な証拠調が施行されているならば、敢えて弁護人被告人を交えての検討会は全く無用のものなのである。

(三) 以上の理由により原判決は刑訴第四一一条第一号乃至第三号の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものであると思料する。

(四) 更に追求する。

第一審裁判官の云う検討会なるものは如何なる訴訟手続によるものであるか、その性格は全く明らかでない。

仮りに第一審第三回公判開廷に先立ち行はれた準備手続としたならば(検察官、弁護人、 告人及び書記官立会の上になされた以上は準備手続であるといわざるを得ない。)刑事訴訟法第三〇三条及び刑事訴訟規則第一九四条、同条の二、同条の三以下の刑事訴訟規則によって調書を作り裁判官は署名しなければならないことは当然の理である。

しかるに調書の作成は勿論、準備手続の結果を明らかにする手続も行われていないのである。(刑事訴訟規則第一九四条の七)

しかもその準備手続においては、本件脱漏所得立証の基本的証拠である前述の諸手帳の確認検討という重要なる手続である。

かゝる検討会においてその経過を示した調書の作成がなく、その結果を明らかにする手続も行われていない以上は全く無効なものであるといわなければならないし訴訟手続違背といわざるを得ない。

しかるに原審は、その無効な準備手続を第一審裁判官の個人的な覚書(前出参照)を以って(仮りに弁護人が同意したとしても)補充回復させようとしたのであるが、その違法は全く治癒出来ないのである。

原審はそれが治癒出来たとして第一審のその訴訟手続を是認しているのであるから訴訟手続違背の法令違反を犯しているといわなければならない。

しかもその違法は原判決を破棄しなければ著しく正義に反する違法といわざるを得ない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例